- 数字は在位年です(名目的な共同統治者としての時期はのぞいてあります)。
- 名前はフォカス帝までラテン語読み、ヘラクレイオス帝以降はギリシャ語読みです。
- 称号は7世紀ころまで古代ローマ時代と同じ「インペラトル、カエサル、フラウィウス、アウグストゥス」またはそのギリシャ語訳の「アウトクラトール、カイサル、フラヴィオス、アウグストス(またはセバストス)」を称しましたが、ヘラクレイオスが「バシレウス」(古代ギリシャでは「王」)を称してから「ローマ人のバシレウス」という称号となり、後に旧来の「アウトクラトール、カイサル、フラヴィオス、アウグストス(またはセバストス)」と併記になりました。例えば、レオーン6世(在位:886年 – 912年)の正式称号は、
アウトクラトール、カイサル、フラヴィオス、レオーン、敬虔なる、恵まれたる、高名なる、勝利したる、凱旋者、永遠に尊厳なるアウグストス、信心深きバシレウス
(井上浩一『ビザンツ帝国』(1982年 岩波書店)P350)です。
また、マヌエル1世コムネノス(在位:1143年 – 1180年)は古代風の征服称号を併記し、マヌエル、キリストにおける神に信厚きバシレウス(皇帝)、ポルフュロゲネトス(緋色の産室生まれ。皇帝の嫡子を指す)、ローマ人のアウトクラトール、もっとも敬虔な、永遠に尊厳なるアウグストス、イサウリア人、キリキア人、アルメニア人、ダルマティア人、ハンガリー人、ボスニア人、クロアティア人、ラジ人、イベリア人、ブルガリア人、セルビア人、ジキア人、ハザール人、ゴート人の征服者、偉大なるコンスタンティヌスの栄冠の神の定めたる相続人、彼の全ての権利を聖霊により受け継ぎし者
(井上浩一前掲書および根津由喜夫『ビザンツ 幻影の世界帝国』(1999年 講談社選書メチエ)P16を正式称号としました。
- なお、ギリシャ語名についてですが、尚樹啓太郎著『コンスタンティノープルを歩く』『ビザンツ帝国史』(ともに東海大学出版会)等では、ビザンティン帝国で使われた中世ギリシャ語は、古代ギリシャ語から現代ギリシャ語への過渡期の言葉であったという観点から現代ギリシャ語に近い読み方を用いていますが、ここでは慣用となっている読み方(古代ギリシャ語に近い読み方)を使っています。 一部でギリシャ語をラテン文字化しているために、スペリングに誤りがある可能性がありますのでご注意下さい。なお、古代・中世2つの読み方の対象の例は以下の通りです(左が古代)。
ヘラクレイオス | → | イラクリオス |
ミカエル | → | ミハエル |
ヨハネス(ヨアンネス) | → | ヨアニス |
バシレイオス | → | ヴァシリオス |
コンスタンティノス | → | コンスタンディノス |
イサキオス | → | イサアキオス |
テオドシウス王朝
アルカディウス | Arcadius | 395-408 |
テオドシウス2世 | Theodosius Ⅱ | 408-450 |
マルキアヌス | Marucianus | 450-457 |
レオ王朝
レオ1世 | Leo Ⅰ | 457-474 |
レオ2世 | Leo Ⅱ | 474 |
ゼノン | Zenon | 474-475,476-491 |
アナスタシウス1世 | Anastasius Ⅰ | 491-518 |
- ゼノンはレオ1世の娘婿(レオ2世の父親)、アナスタシウスはレオ1世とは血縁関係が無い。
ユスティニアヌス王朝
ユスティヌス1世 | Justinus I | 518-527 |
ユスティニアヌス1世(大帝) | Justinianus I | 527-565 |
ユスティヌス2世 | Justinus Ⅱ | 565-578 |
ティベリウス2世コンスタンティヌス | Tiberius Ⅱ Constantinus | 578-582 |
マウリキウス | Maurikius | 582-602(廃位) |
フォカス | Phokas | 602-610(廃位) |
- ユスティヌス1世と血縁関係があるのはユスティヌス2世まで。
- ティベリウス2世はユスティヌス2世の養子、マウリキウスはティベリウス2世の娘婿である。
ヘラクレイオス王朝
ヘラクレイオス | Herakleios | 610-641 |
コンスタンティノス3世 | Konstantinos Ⅲ | 641 |
ヘラクロナス | Heraklonas | 641(廃位) |
コンスタンス2世”ポゴナトス” | Konstans Ⅱ | 641-668(暗殺) |
コンスタンティノス4世 | Konstantinos Ⅳ | 668-685 |
ユスティニアノス2世”リノトメトス” | Justinianos Ⅱ Rinotmetos | 685-695 (廃位) |
レオンティオス | Leontios | 695-698 (廃位) |
ティベリオス3世アプシマロス | Tiberios Ⅲ | 698-705(廃位) |
ユスティニアノス2世(復位) | Justinianos Ⅱ Rinotmetos | 705-711 (廃位) |
フィリピコス・バルダネス | Philippikos Bardanes | 711-713 (廃位) |
アナスタシオス2世 | Anastasios Ⅱ | 713-715 |
テオドシオス3世 | Theodosios Ⅲ | 715-717 |
- ヘラクレイオスの血統はユスティニアノス2世まで。
イサウリア(シリア)王朝
レオーン3世 | Leon Ⅲ | 717-741 |
コンスタンティノス5世”コプロニュモス” | Konstantinos Ⅴ | 741-775 |
レオーン4世”ハザロス” | Leon Ⅳ | 775-780 |
コンスタンティノス6世 | Konstantinos Ⅵ | 780-797(廃位) |
エイレーネー(女帝) | Irene | 797-802(廃位) |
ニケフォロス1世 | Nikephoros Ⅰ | 802-811(戦死) |
スタウラキオス | Staurakios | 811(廃位) |
ミカエル1世ランガべー | Michael Ⅰ | 811-813 |
レオーン5世”アルメニコス” | Leon Ⅴ | 813-820(暗殺) |
- レオーン3世の血統はコンスタンティノス6世まで。
アモリア王朝
ミカエル2世”トラヴロス” | Michael Ⅱ | 820-829 |
テオフィロス | Theophilos | 829-842 |
ミカエル3世”メスィソス” | Michael Ⅲ | 842-867(廃位) |
マケドニア王朝
バシレイオス1世 | Basileios Ⅰ | 867-886 |
レオーン6世”フィロソフォス” | Leon Ⅵ Phirosophos | 886-912 |
アレクサンドロス | Alexandros | 912-913 |
コンスタンティノス7世”ポルフュロゲネトス” | Konstantinos Ⅶ Porphyrogennetos | 913-959 |
ロマノス1世レカペノス | Romanos ⅠLekapenos | 920-944(廃位) |
ロマノス2世 | Romanos Ⅱ | 959-963 |
ニケフォロス2世フォカス | Nikephoros Ⅱ Phokas | 963-969(廃位) |
ヨハネス1世ツィミスケス | Johannes Ⅰ Tzimiskes | 969-976 |
バシレイオス2世”ブルガロクトノス” | Basileios Ⅱ Bulgaroktonos | 976-1025 |
コンスタンティノス8世 | Konstantinos Ⅷ | 1025-1028 |
ロマノス3世アルギュロス | Romanos ⅢArgyros | 1028-1034(暗殺) |
ミカエル4世”パフラゴニオス” | Michael Ⅳ Paphlagonios | 1034-1041 |
ミカエル5世”カラファテス” | Michael Ⅴ Kalaphates | 1041-1042(廃位) |
ゾエ・テオドラ(女帝共治) | Zoe,Theodora | 1042 |
コンスタンティノス9世モノマコス | Konstantinos Ⅸ Monomachos | 1042-1055 |
テオドラ(女帝) | Theodora | 1055-1056 |
ミカエル6世ストラティオティコス | Michael Ⅵ Stratiotikos | 1056-1057 (廃位) |
イサキオス1世コムネノス | Isakios ⅠKomnenos | 1057-1059 |
- ロマノス1世、ニケフォロス2世、ヨハネス1世、ロマノス3世、ミカエル4世、ミカエル5世、コンスタンティノス9世、ミカエル6世、イサキオス1世はマケドニア王朝の血統ではない。
ドゥーカス王朝
コンスタンティノス10世ドゥーカス | Konstantinos Ⅹ Dukas | 1059-1067 |
エウドキア・マクレンボリティサ (摂政・コンスタンティノス10世の皇后) |
Eudkia Makrenboritissa | 1067-1068 |
ロマノス4世ディオゲネス | Romanos Ⅳ Diogenes | 1068-1071(廃位) |
ミカエル7世ドゥーカス”パラピノ” | Michael Ⅶ Dukas Parapino | 1071-1078 |
ニケフォロス3世ボタネイアテス | Nikephoros Ⅲ Botaneiates | 1078-1081 |
コムネノス王朝
アレクシオス1世コムネノス | Alexios Ⅰ Komnenos | 1081-1118 |
ヨハネス2世コムネノス | Johannes Ⅱ Komnenos | 1118-1143 |
マヌエル1世コムネノス | Manuel Ⅰ Komnenos | 1143-1180 |
アレクシオス2世コムネノス | Alexios Ⅱ Komnenos | 1180-1183(廃位) |
アンドロニコス1世コムネノス | Andronikos Ⅰ Komnenos | 1183-1185(廃位) |
- アレクシオス1世はイサキオス1世の甥である。
アンゲロス王朝
イサキオス2世アンゲロス | Isakios Ⅱ Angelos | 1185-1195(廃位) |
アレクシオス3世アンゲロス | Alexios Ⅲ Angelos | 1195-1203 |
イサキオス2世(復位) | Isakios Ⅱ Angelos | 1203 |
アレクシオス4世アンゲロス | Alexios Ⅳ Angelos | 1203-1204(廃位) |
アレクシオス5世ドゥーカス ”ムルヅフォロス” | Alexios Ⅴ Dukas Murtzupholos | 1204(廃位) |
コンスタンティノス・ラスカリス | Konstantinos Laskaris | 1204 |
- アンゲロス家はイサキオス2世がアレクシオス1世の血を引くため、王朝名としてはコムネノス朝を名乗ったという説がある。
- コンスタンティノス・ラスカリスは、十字軍による攻撃の最中にくじ引きで皇帝に選ばれたものの、たった一晩で首都から逃亡したため皇帝として扱わないこともある。
ラテン帝国(西欧人による十字軍国家)
ボードゥアン1世 | Baudouin Ⅰ | 1204-1205 |
アンリ・ド・エノー | Henri | 1206-1216 |
ピエール・ド・クルトネー | Pierre de Courtnay | 1217-1219 |
ロベール・ド・クルトネー | Robert de Curtenay | 1221-1228 |
ジャン・ド・ブリエンヌ | Jean de Brienne | 1228-1237 |
ボードゥアン2世ド・クルトネー | Baudouin Ⅱ de Courtnay | 1237-1261 |
ニカイア帝国(ラスカリス王朝)
テオドロス1世ラスカリス | Theodoros Ⅰ Laskaris | 1204-1222 |
ヨハネス3世ドゥーカス・バタヅェス | Johannes Ⅲ Dukas Vatatzes | 1222-1254 |
テオドロス2世ラスカリス | Theodoros Ⅱ Laskaris | 1254-1258 |
ヨハネス4世ラスカリス | Johannes Ⅳ Laskaris | 1258-1261(廃位) |
パライオロゴス(パレオロゴス)王朝
ミカエル8世パライオロゴス | Michael Ⅷ Palaiologos | 1261-1282 |
アンドロニコス2世パライオロゴス | Andoronikos Ⅱ Palaiologos | 1282-1328(廃位) |
アンドロニコス3世パライオロゴス | Andoronikos Ⅲ Palaiologos | 1328-1341 |
ヨハネス5世パライオロゴス | Johannes Ⅴ Palaiologos | 1341-1376(廃位) |
ヨハネス6世カンタクゼノス | Johannes Ⅵ Kantakouzenos | 1347-1355(廃位) |
アンドロニコス4世パライオロゴス | Andoronikos Ⅳ Palaiologos | 1376-1379(廃位) |
ヨハネス5世パライオロゴス(復位) | Johannes Ⅴ Palaiologos | 1379-1391 |
ヨハネス7世パライオロゴス | Johannes Ⅶ Palaiologos | 1390 (1399-1402、摂政) |
マヌエル2世パライオロゴス | Manuel Ⅱ Palaiologos | 1391-1425 |
ヨハネス8世パライオロゴス | Johannes Ⅷ Palaiologos | 1425-1448 |
コンスタンティノス11世ドラガセス | Konstantinos XI Doragases | 1449-1453(戦死) |
- ヨハネス6世カンタクゼノスはヨハネス5世の岳父であり、ミカエル8世の子孫ではないが母方からパライオロゴス家の血を引いている。
- コンスタンティノス11世は、マヌエル2世の子だが、母方の姓゛ドラガシュ(セルビア君侯家)゛のギリシャ語形゛ドラガセス゛を名乗った。
- 1204年のコンスタンティノス・ラスカリスを皇帝として扱う場合には、コンスタンティノス11世は12世となる。
共同皇帝、対立皇帝一覧表
レオ王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
レオ2世(474) | ☆ゼノン(474) |
ゼノン(474-491) | ★バシリスクス(475-476) |
★マルクス(476) | |
★レオンティウス(484-488) |
ユスティニアヌス王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
ユスティニアヌス1世(527-565) | ★ヒュッパティウス(528) |
ユスティヌス2世(565-578) | ☆ソフィア(573) |
☆ティベリウス2世コンスタンティヌス(574-578) | |
ティベリウス2世コンスタンティヌス(578-582) | ☆マウリキウス(582) |
マウリキウス(582-602) | ☆テオドシウス(592-602) |
ヘラクレイオス王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
ヘラクレイオス(610-641) | ☆コンスタンティノス3世(613-641) |
☆ヘラクロナス(638-641) | |
ヘラクロナス(641) | ☆マルティナ(641) |
☆コンスタンス2世”ポゴナトゥス(641) | |
☆ダヴィド(ティベリオス)(641) | |
コンスタンス2世”ポゴナトゥス”(641-668) | ★グレゴリオス(647) |
☆コンスタンティノス4世(654-658) | |
☆ヘラクレイオス(659-681) | |
☆ティベリオス(659-681) | |
コンスタンティノス4世(668-685) | ☆ユスティニアノス2世(681-685) |
ユスティニアノス2世”リノトメトス” 2度目(705-711) | ☆ティベリオス(705-711) |
イサウリア(シリア)王朝・アモリア王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
レオーン3世(717-741 | ☆コンスタンティノス5世(721-741) |
コンスタンティノス5世”コプロニュモス”(741-775) | ★アルタヴァスドス(742-743) |
☆レオーン4世(750-775) | |
コンスタンティノス6世(780-797) | ☆エイレーネー(780-797) |
ミカエル2世トラヴロス(820-829) | ★トマス(820,821-823) |
☆テオフィロス(821-829) | |
ミカエル3世゛メスィソス゛(842-867) | ☆テオドラ(842-856) |
☆バルダス(862-866) | |
☆バシレイオス1世(866-867) |
マケドニア王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
バシレイオス1世(867-886) | ☆コンスタンティノス(869-879) |
☆レオーン(870-886) | |
☆アレクサンドロス(879-886) | |
レオーン6世”フィロソフォス”(886-912) | ☆アレクサンドロス(886-912) |
☆コンスタンティノス7世”ポルフュロゲネトス”(911-912) | |
ロマノス1世レカペノス(920-944) | ☆コンスタンティノス7世”ポルフュロゲネトス”(920-944) 913-920は単独の正皇帝 |
☆クリストフォロス(921-944) | |
☆ステファノス(924-944) | |
コンスタンティノス7世”ポルフュロゲネトス”(944-959) 2回目の正皇帝 |
☆ステファノス(944-945) |
☆コンスタンティノス(944-945) | |
☆ロマノス2世(948-959) | |
ロマノス2世(959-963) | ☆バシレイオス2世(960-961) |
☆コンスタンティノス8世(961-963) | |
ニケフォロス2世フォカス(963-969) | ☆バシレイオス2世(963-969) 963年の一時期、単独皇帝 |
☆コンスタンティノス8世(963-969) | |
ヨハネス1世ツィミスケス(969-976) | ☆バシレイオス2世(969-976) |
☆コンスタンティノス8世(969-976) | |
★バルダス・フォカス(970) | |
バシレイオス2世”ブルガロクトノス”(976-1025) | ☆コンスタンティノス8世(976-1025) |
★バルダス・フォカス(987-989) | |
コンスタンティノス9世モノマコス(1042-1055) | ★マニアケス(1045) |
★レオーン・トルニキオス(1047) |
ドゥーカス王朝、コムネノス・アンゲロス王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
コンスタンティノス10世ドゥーカス(1059-4067) | ☆ミカエル7世ドゥーカス”パラピノ”(1060-1067) |
ミカエル7世ドゥーカス”パラピノ”(1071-1078) | ☆エウドキア・マクレンボリティサ(1071) |
★ヨハネス・ドゥーカス(10729 | |
★ニケフォロス・ブリュエンニオス(1077-1078) | |
★ニケフォロス3世・ボタネイアテス(1077) | |
ニケフォロス3世ボタネイアテス(1077-1081) | ★ニケフォロス・メリシノス(1080) |
アレクシオス1世コムネノス(1081-1118) | ☆コンスタンティノス・ドゥーカス(1081-1090) |
☆ヨハネス2世コムネノス(1092-1118) | |
ヨハネス2世コムネノス(1118-1143) | ☆アレクシオス・コムネノス(1122–1142) |
マヌエル1世コムネノス(1143-1180) | ☆アレクシオス2世(1172-1180) |
アレクシオス2世コムネノス(1180-1183) | ☆アンドロニコス1世コムネノス(1182-1183) |
アンドロニコス1世コムネノス(1183-1185) | ☆アレクシオス2世コムネノス(1183) |
イサキオス2世アンゲロス(1185-1195) | ★テオドロス・マンガファス(1188-1189) |
イサキオス2世(2回目)、アレクシオス4世アンゲロス (1203-1204) |
★ニコラオス・カナボス(1204) |
ニカイア帝国(ラスカリス王朝)
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
ヨハネス3世ドゥーカス・バタヅェス(1222-1254) | ☆テオドロス2世ラスカリス(1241-1254) |
ヨハネス4世ラスカリス | ☆ミカエル8世パライオロゴス(1259-1261) |
パライオロゴス(パレオロゴス)王朝
正皇帝 | 共同皇帝(☆)、対立皇帝(★) |
ミカエル8世パライオロゴス(1261-1282) | ☆アンドロニコス2世パライオロゴス(1272-1282) |
☆ミカエル9世パライオロゴス(1281-1282) | |
アンドロニコス2世パライオロゴス(1282-1328) | ☆ミカエル9世パライオロゴス(1282-1320) |
☆アンドロニコス3世パライオロゴス(1321) | |
ヨハネス5世パライオロゴス(1341-1376) | ★ヨハネス6世カンタクゼノス(1341) |
☆ヨハネス6世カンタクゼノス(1346-1347) | |
☆アンドロニコス4世パライオロゴス(1366、1369ー1371) | |
☆マヌエル2世パライオロゴス(1373-1376) | |
ヨハネス6世カンタクゼノス(1352-1354) | ☆マテオス・カンタクゼノス(1353-1357) |
ヨハネス5世(復位) | ★ヨハネス7世パライオロゴス(1390) |
マヌエル2世パライオロゴス | ☆ヨハネス7世パライオロゴス(1399-1402) |
☆ヨハネス8世パライオロゴス(1421-1425) |