宮殿の皇妃専用の緋色の産室で生まれた子、つまり皇帝の嫡出子を指す称号ポルフュロゲネトス(ポルフィロゲニトス Πορφυρογέννητος)ですが、ネット上で女性形ではポルフィロゲニタではないのか?という話題がありました。これについても、「1453年のオスマン軍によるコンスタンティノープル攻撃はいつからだったのか」同様、女子美術大学の平野智洋先生からメールを頂きました。
ポルフィロゲニトスの女性形はポルフィロゲニタか?
という問題がそれのようですが、これ、なぜだか2日目が謎の成り行きポルフィロゲニトス部会と化したビザンツ学会の第12回大会(2014年、於: 佛教大学)の佐伯(片倉)綾那さんの報告の質疑応答でも少し出ていた記憶があります。
佐伯さんも、アンナが敢えて男女同型のポルフィロゲニトス称号を使用してその立場を強調したと述べておられたと思うのですが、その先の議論の行く末が若干曖昧であったと記憶しています。
実際のところはどうなのか?
(1) ビザンツ関連調べ物のスタンダード、『オックスフォード・ビザンツ事典』では、ポルフィロゲニトスの原綴りとしてπορφυρογέννητος, πορφυρογεννήτηςの二種類が記されており、
女性形としての特記はされていません(ここの部分、Wikipediaの英語・ギリシア語版も間違った参照に基づいて、女性形がπορφυρογέννητηであると記しています)。
史料では、
(2) 11世紀に作成され、17世紀にアソス山ヴァトペディ修道院からモスクワに移されたとある写本の書き込みに、アレクシオス1世コムニノス帝の子女全員の生誕記録となる短編年代記があります。
それによると、第一子アンナ(即ち歴史家)は、ἡ πορφυρογέννητος κυρὰ Ἄννα 「ポルフィロゲニトス(緋室生まれの皇女)たるアンナ殿下」
と記されています。また、4年後に誕生したアンナのライバル、弟ヨアニス(筆者注:慣用形だと「ヨハネス」)は、
ὁ πορφυρογέννητος καὶ βασιλεὺς κῦρ Ἰωάννης
「ポルフィロゲニトス(緋室生まれの皇子)にして皇帝、ヨアニス陛下」
と記されており、両者は冠詞によってこそ区分されるものの、単語そのものの形態は同じであった事になります。
つまり、姉のアンナも弟のヨハネス2世も「πορφυρογέννητος」であって、男性形・女性形共に同じ綴りということになります。
これをツイッターでご紹介した際に、色々リプを頂いたものの私自身はギリシャ語に疎いので、正直消化しきれなかったのですが、ギリシャ語の合成語は男女で同じ語尾になりやすいようです。
この件ですが、女子美術大学の平野智洋先生がメール下さいまして、11世紀の年代記の写本には姉のアンナも弟のヨハネスも冠詞は違うものの「ポルフュロゲネトス」と書いてあるとのことでした。 https://t.co/A2Dkhy5DxZ
— ビザンティン帝国同好会【SINCE 1999】 (@Byzantine_Club) April 9, 2020
平野先生から補足を頂いたので、そちらもご紹介します。
女性名詞にも元々語末が-οςとなる第二変化(ο変化)名詞があります例: 「道」ὁδός)。
形容詞では主として第三変化(子音幹変化)で男性・女性形が同形となるものがあり(例: 「真実なる」ἀληθής)、twitterコメントのように、合性系の形容詞では第一・第二変化でも男性・女性形が同じ変化となる次第です(ポルフィロゲニトスの場合、元々は形容詞ですが、途中からどう見ても名詞化しているように見受けられます)。この場合の男女同形は、活用変化上のものであり、冠詞によって男性形か女性形かを判別する、という事になります。その意味で、アンナの「ポルフィロゲニトス」は女性形だ、という事になる訳ですね。一部コメントにありましたが、男女同形(冠詞により男性形・女性形を判断)の単語は形容詞だけではなくて、名詞の方にもあり、特に合成語に関してはかなり例があるようです(名詞にもある事に思い当たったのは大分時間が経ってから)。考えてみると、ビザンツ帝国は合成語が飛び交う世界だった訳ですね(官職・爵位、人々の渾名等)。
これら合成語は、知識人の擬古典語による創作活動の中で生み出されたものもあれば、一般的な口語の活動で生み出されたものもあるようです。擬古典語に拘る知識人が「うっかり」或いは意図的に同時代口語表現を著作に持ち込んだり、逆に聖書等を通じて古めかしい表現が口語作品の中に採り入れられたりする事は結構あります。
従って古典・擬古典・純正語(カサレヴサ)と中世・近現代口語は相応の相違があるとは言え、連続的要素も多々あり両者が隔絶していたと考える必要はありません。男女同形の名詞も、例えば-νόμος, -λόγος関連の合成語は現在でも普通に用いられていますし、近現代に新たに生まれた合成語もあります。
「天文学者」αστρονόμος, 「警察官」αστυνόμος, 「管理人・家政夫/婦」οικονόμος等。
「ビザンツ学者」Βυζαντινολόγος, 「病理学者」παθολόγος等。
ついでに調べてみたのですが、政治関連の用語、大臣、議員、自治体首長は男性形と女性形それぞれの語尾を持つ単語があるのですが、男女平等の観点からか、現代では女性大臣・議員・首長も男性形の役職名で記される事も多いようです。
さて、では、なぜ女性形「ポルフィロゲニタ」が出てくるのかというと、平野先生曰く
この形は、実はラテン語の著作に出てきます。
(3) リウトプランドは『コンスタンティノープル使節記』に於いて、ビザンツ皇女の降嫁をめぐる侍従長ヴァシリオス(バシレイオス)の言葉を引用しています。
「ポルフィロゲニトスの娘であるポルフィロゲニータ、つまり、緋室生まれの皇帝の、緋室埋まりの娘が異民族と交わるというのは、聞いたことのない話だ。」
ここでは確かに、男性形と女性形の区別が為されています。しかし、リウトプランドがヴァシリオスの言葉として引用したものは、多分にラテン語化されて変形されている(或いは呼格や対格の変形をそのまま採り入れた)可能性を考えておく必要があると思われます。
ちなみに、ラテン語化された「ポルフィロゲニータ」の表現は研究者でも結構使っている人がいて、英国で活動されたギリシア人研究者ジュリアン・フリソストミディス先生の記念論集のタイトルが『ポルフィロゲニータ』となっていました。
・Ch. Dendrinos- J. Harris- E. Harvalia-Crook- J. Herrin (eds.), PORPHYROGENITA:
Essays on the History and Literature of Byzantium and the Latin East in Honour of
JULIAN CHRYSOSTOMIDES, Aldershot- Burlington, 2003.
情報をお寄せ下さった平野先生、ありがとうございました。
平野先生が挙げてくださった、典拠は以下の通りです。上記( )内番号と以下の番号が対応しています。
(1) Alexander P. Kazhdan (ed. in chief), The Oxford Dictionary of Byzantium, I-III, Oxford, 1991, III. 1701.
(2) Peter Schreiner (ed.), Die Byzantinischen Kleinchroniken (Chronica Byzantina Breviora), T. I-III,
Wien, 1975-1979, I. 55 (Chronik 5: 1, 3). 所謂『短編年代記』の一篇として収録されています。
他にも、コムニノス家の隠退先となったコンスタンティノープル・ケハリトメニ(ケカリトメネ)修道院文書の中で、やはり皇女達がポルフィロゲニトスとして記されています。
Franz Miklosich- Joseph Müller, Acta et diplomata graeca medii aevii, sacra et profana, v. I-VI, Wien, 1860-
1890, V. 335 passim.
パレオロゴス時代にも、ミハイル8世の娘エヴドキア(トラペズス皇帝ヨアニス2世と結婚)がポルフィロゲニトスとしてミハイル・パナレトス『トラペズスの諸帝について(トレビゾンド年代記)』に言及されています。
Michael Panaretos- Bessarion, Two Works on Trebizond, ed. -trans. Scott Kennedy, Cambridge, Mass., 2019
(Dumbarton Oaks Medieval Library), 4.
(3) リウトプランド(大月康弘訳)『コンスタンティノープル使節記』知泉書館, 2019年, 31.
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