爵位は18等級あり、皇族と文武高官以外に下級の爵位は、「皇帝の爵位」という皇帝に対する個人的な勲功(とくに軍事)によって与えられるものと、「元老院の爵位」と呼ばれる職務を一切持たない名誉称号(保持者は儀式への参列のみ)というものの2種類があった。
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カイサル(副皇帝) |
十字架なしの冠 |
皇族 |
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ノーベリシモス |
金糸刺繍入りの紫紅衣、マント、帯 |
皇族 |
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クーロパラテース |
金糸刺繍入りの緋衣、マント、帯 |
皇族 |
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ゾーステー・パトリキア |
象牙の銘盤(叙任証) |
皇族(女性) |
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マギストロス |
金の肩あて付金糸刺繍入りの白衣、マント |
文武高官 |
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アンテュパトス |
緋文字で書かれた叙任証 |
文武高官 |
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パトリキオス |
象牙板法律文書様式の叙任証 |
文武高官 |
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プロートスパタリオス |
宝石付き金のカラー |
皇帝の爵位 |
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ディシパトス |
叙任証 |
元老院の爵位 |
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スパタロカンディダートス |
胸まで垂れる宝石入り金鎖付きカラー |
皇帝の爵位 |
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スパタリオス |
金の柄の剣 |
皇帝の爵位 |
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ヒュパトス |
叙任証 |
元老院の爵位 |
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ストラトール |
宝石付き金色の鞭 |
皇帝の爵位 |
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カンディダートス |
胸までの金鎖付きカラー |
皇帝の爵位 |
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マンダトール |
赤い杖 |
皇帝の爵位 |
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ヴェスティトール |
フィブラトーリオン |
元老院の爵位 |
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セレンティアリオス |
金色の杖 |
元老院の爵位 |
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ストラテーラテース |
叙任証 |
元老院の爵位 |
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アポ・エパルコーン |
叙任証 |
元老院の爵位 |
9世紀における帝国の爵位は、古代ローマ帝国後期の官職が7世紀以降に有名無実化したものが多い。
1.マギストロス |
上記の爵位のうちの「プロートスパタリオス」以上のものが元老院議員である。
なお、爵位は世襲ではなく、爵位保持者の息子でも改めて爵位を皇帝から得なければならなかったので、元老院議員とはいっても原則的には皇帝に逆らうことはできなかった。
上の表に示された爵位体系も、11世紀後半以降になると財政危機を補うための爵位の販売(9世紀頃から、低位の爵位は金銭で売買されていたようであるが)が行なわれ、体系がすっかり乱れてしまった。
これを、コムネノス朝のアレクシオス1世によって新たに整備されることになる。アレクシオスは「セバストス」から派生する高位の爵位をいくつも新設し、これを姻戚関係を結んだ貴族に与えたのである。
「セバストス」とは、ラテン語のアウグストゥス(尊厳なるもの)に当たる言葉で、当然元々は皇帝にしか許されないものであったが11世紀半ば以降「カイサル」に次ぐ爵位として登場するようになったものである。そのセバストスをアレクシオスはコムネノス家の一門や彼が帝位につく際に功があった人々に与え、さらにその上に「プロートセバストス(第1のセバストス)」を置いた。さらに皇帝の称号の一つ「アウトクラトール(単独の支配者)」と組み合わせた「セバストクラトール」をカイサルの上に、「パンヒュペルセバストス(いとも至高なるセバストス)」をカイサルと「プロートセバストス」の間に置いて兄や義兄たちに分配した(「いとも至高なる尊厳なる者」までくると、「超スーパーカリスマ○○」とレベルが変わらない気がする)。
この結果上位の爵位は、
1.セバストクラトール
2.カイサル
3.パンヒュペルセバストス
4.プロートセバストス
5.セバストス
この頃の皇帝直属官僚の数は60であった。ローマ帝国末期の帝国東部の直属官僚の数は22であったから、帝国の領土の縮小を考えると大幅に増えている。
これは属州制がテマ制に変わり、さらにテマが細分化されたことや、行政官庁の各部局が独立したことによる。権限を分散させて皇帝に対抗する権力が出てこないようにしたのだ。
官職は@ストラテーゴス(テマの軍事・行政)、Aドメスティコス(中央の軍事)、Bクリテース(司法)、Cセクレティコス(財務)、Dデーモクラテース(市民団体)、Eストラタルケース(宮廷警備),Fその他の特別職、の7つに大別されていた(市民団体とは、ユスティニアヌス朝の頃のような本当の市民の団体ではなく、おそらく儀式用に雇われていたデーモス[ギリシャ語で市民という意味]のことであろう)。
なお第1位のバシレオパトール(「皇帝の父親」という意味)は、レオーン6世が愛人でコンスタンティノス7世の母であるゾエ・カルボノプシナの父親に与えた地位で、若い皇帝の指導役とされていた(摂政みたいなもの?)。第3位の総主教顧問官は、当初は総主教の秘書官兼相談役であったが、10世紀になると次期総主教候補が任命されるものとなり、やがて実務を伴わない爵位と化した。また、運輸・外務長官と訳されることの多い「ロゴテテース・トゥー・ドロムゥ」は9世紀になると重要性を増し、実質的な宰相としての役割を果たすようになった。
「戦う人」騎士が主役だった西欧に比べ、ビザンティン帝国では文官官僚が強かったイメージがあるが、実際には武官である中央軍団の司令官やテマの長官の方が地位は上であった。特に重要な防衛拠点である小アジアのテマ長官は地位が高く、テマ-アナトリコン(小アジアの中南部)の長官に至っては中央軍の総司令官ともなるスコライ軍団司令長官よりも高位であった。
参考までに爵位と官職の関係を挙げておくと
・テマ・アナトリコンのストラテーゴスやスコライ軍団司令長官-アンテュパトスかパトリキオス。
・エクスクーピテース軍団の司令長官-パトリキオス。
・ヒカナトス軍団の司令長官-プロートスパタリオス
であった。
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バシレオパトール(皇帝の顧問官) |
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ライクトール(元老院議長) |
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総主教顧問官 |
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テマ−アナトリコン(小アジア)長官 |
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スコライ軍団(中央軍)司令長官 |
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テマ−アルメニアコン(小アジア)長官 |
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テマ−トラケシオン(小アジア)長官 |
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テマ−オプシキオン(小アジア)長官 |
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テマ−ブーケラリオン(小アジア)長官 |
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テマ−カッパドキア(小アジア)長官 |
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テマ−カルシアノン(小アジア)長官 |
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テマ−コローネイア(小アジア)長官 |
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テマ−パフラゴニア(小アジア)長官 |
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テマ−トラキア(バルカン)長官 |
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テマ−マケドニア(バルカン)長官 |
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テマ−カルディア(小アジア)長官 |
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エクスクービテース軍団(中央軍)司令長官 |
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コンスタンティノープル市総督、司法 |
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テマ−ペロポネソス(バルカン)長官 |
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テマ−ニコポリス(バルカン)長官 |
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テマ−キュピライトーン(海)長官 |
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テマ−ヘラス(バルカン)長官 |
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テマ−シチリア長官 |
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テマ−ストリュモーン(バルカン)長官 |
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テマ−ケファレーニア(バルカン)長官 |
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テマ−テサロニカ(バルカン)長官 |
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テマ−デュラキオン(バルカン)長官 |
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テマ−サモス(海)長官 |
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テマ−エーゲ海諸島長官 |
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テマ−ダルマティア(バルカン)長官 |
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テマ−ケルソン(クリミア半島)長官 |
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財務長官 |
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税務長官 |
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司法長官 |
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軍隊財務長官 |
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宮殿護衛長官(*1) |
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運輸・外務長官 |
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首都海軍司令長官 |
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皇帝親衛隊長官 |
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御料牧地管理長官 |
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ヒカナトス軍団(中央軍)司令長官 |
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スーメロス監獄長官 |
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テマ−オプティマトン(小アジア)長官 |
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城壁監獄長官 |
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国庫文書局長官 |
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国家財産収蔵庫管理長官(衣服) |
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皇帝文書確認官、祐筆 |
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馬丁長官 |
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尚書局長官 |
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各テマの臨時長官 |
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馬屋長官 |
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国家財産収蔵庫管理長官(貴金属) |
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皇帝領管理長官 |
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マンガナ所領管理長官 |
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請願・上訴管理局長官 |
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孤児院管理長官 |
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「青党」長官(デーモス長?) |
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「緑党」長官(デーモス長?) |
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儀式長官 |
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皇帝親衛隊長 |
*1-これは尚樹啓太郎「ビザンツ帝国史」などによると、中央軍の1つアリトモス軍団の司令長官ではないかと思われる。
これらの直属官僚の下にそれぞれ下級の役人がついていた。
たとえば、テマ-アナトリコンの長官(ストラテーゴス)の下には、
@トゥールマルケース(地区長官)
Aメリアルケース(小地区長官)
Bコメス・テース・コルテース(幕僚長)
Cカルトゥーラリオス・トゥー・テマストス(テマ財務官)
Dドメスティコス・トゥー・テマトス(中央軍のテマ分隊司令官)
Eドルーンガリオス・トーン・バンドーン(分隊長)(*2)
Fコメス・トーン・バンドーン(分隊長)(*2)
Gケンタルコス・トーン・スパタリオーン(ストラテーゴス親衛隊長)(*2)
Hコメス・テース・ヘタレイアース(ストラテーゴス親衛隊長)(*2)
Iプロートカンケラリオス(第一尚書)
Jプロートマンダトール(第一伝令)
Kマンダトール(伝令)
*2-バンドーンは歩兵・騎兵の基本単位で、歩兵の場合16人の縦隊(ロカゴス)16個から編成さ(つまり256人)れ、騎兵のバンドーンは300人を初期には3隊(百人隊)、中期になると6つ(五十人隊)に分けて編成されていた。
そのバンドーンの総指揮官が「コメス(伯)」だったのだが、ドルーンガリオス・トーン・バンドーンとの差がここでは良く分からない。またケンタルコス・トーン・スパタリオーンとコメス・テース・ヘタレイアースの違いも良く分からない。
また、中央官庁である軍隊財務長官の下には
@カルトゥーラリオス・トゥー・セクレトゥー(財務局長)
Aカルトゥーラリオス・トゥー・テマトーン(テマの財務担当)(*3)
Bカルトゥーラリオス・トゥー・タグマトーン(中央軍の財務担当)
Cレガタリオス(不明)
Dオプティネス(給料係)
Eプロートカンケラリオス(第一尚書)
Fマンダトール(伝令)
*3-カルトゥーラリオス・トゥー・テマトーンは各テマ軍団の登録や軍籍簿管理を行う職で、各テマの長官の下僚でもあった。
中央官僚の数はこの当時約600人。肥大化した、非効率なと言われている姿とは、当時は程遠かったのである。
9世紀の官職機構図
皇帝直属の部局 | 人員 | 給与総額(ノミスマ) |
コンスタンティノープル市総督(首都長官)局 | 98 | 6,174 |
司法局 | 13 | 1,728 |
請願・上訴管理局 | 7 | 540 |
総財務局 | 10 | 2,160 |
税務局 | 72 | 10,224 |
軍隊財務局 | 98 | 5,220 |
運輸・外務局 | 131 | 9,000 |
国庫管理局(現金) | 59 | 6,138 |
国家管理局(物品) | 23 | 2,098 |
尚書局 | 26 | 4,032 |
特別財務局 | 16 | 2,592 |
皇帝領管理局 | 44 | 5,400 |
孤児院管理局 | 8 | 1,440 |
計 | 605 | 56,736 |
(井上浩一/粟生沢猛夫「ビザンツとスラブ」<中央公論社>p67より)
また、「官職表」には、その本来の目的である宮廷での宴席の席次も書かれている。
それによると、席次の大原則は教会関係を除くと、爵位によって決められ、同じ爵位の間では官職を持つものが持たないものに、さらに官職保持者の間ではその官職の順位によって決められた。
以下はその席次を示したものである。
コンスタンティノープル総主教
カイサル
ノーベリシモス
クーロパラテース
バシレオパトール
ゾーステー・パトリキア
この六つの爵位・官職を持つものは皇帝と同じテーブルについた。
続いて、
マギストロス
ライクトール
ローマ教皇のシュンケロス(顧問官)
コンスタンティノープル総主教のシュンケロス
アンティオキア・エルサレム・アレクサンドリアの各総主教のシュンケロス
ブルガリア大主教
宦官でパトリキオスの爵位を持つ者
アンテュパトスないしはパトリキオスの爵位を持つテマ・アナトリコン長官
アンテュパトスないしはパトリキオスの爵位を持つスコライ軍団司令長官
アンテュパトスないしはパトリキオスの爵位を持つテマ・アルメニアコンの長官
と続き、後は官職の順序によって決められていた。
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