ビザンティン帝国の国制

帝国のイデオロギー 国制の変化 国政を担った人々


1.帝国のイデオロギー



ビザンティン帝国においては、「この帝国はローマ帝国であり、皇帝は全世界の主である」「この帝国こそが、もっとも正統なキリスト教を奉じている」というのが基本的な大原則であった。
そして、「皇帝はアウグストゥスの唯一にして正統なる後継者であり、地上における神の代理人である」「この帝国は最後の審判の日まで続く、最後の帝国である」という考えられていた。

ギリシャ系の住民が大半を占めるようになってからもこの2つの理念は守られた。それこそが帝国の存立の根幹を成していたからだ。

この古代ローマ以来の「ローマ帝国理念」と「キリスト教の信仰」こそが「キリスト教化されたギリシャ人によるローマ帝国」(井上浩一)としてのビザンティン帝国を存続させた原動力であった。

 

2.国制の変化


ビザンティン帝国の国家制度は基本的には、皇帝による専制君主制国家であり、官僚制が発達していた。その点では中国の諸王朝と共通していると言えよう。
法律は、ユスティニアヌス1世が編纂させたローマ帝国時代の法律集「ローマ法大全」が基本法典であったが、実情に応じて法の解釈変更や修正、新法の発布が行われた。

皇帝は宗教上でも指導権を持ち、公会議を主宰して教義を決定していた(西欧におけるローマ教皇の様に、一方的に回勅を出して教義を決めるわけではなかったが)。また、10世紀頃までは帝国政府が経済を統制しており、現代人から見ると窮屈で仕方がないような国家に見える。

基本的なイデオロギー・原則は上記の通りであり、それは帝国の滅亡まで変わらなかった。そのため、1000年間何も変化しなかったように思われがちだが、それはビザンティン人達がそう思わせようとしたためであり、実際は1000年の間に時代の流れの中で帝国の国制は、変化し続けた。ビザンティン帝国は「ローマ帝国」という建前は建前として、現実には柔軟に対処していく力を持っていた国家であり、それが1000年間帝国を存続させた要因の1つであったといるだろう。

 

@ 「古代ローマ帝国」の終焉

A 危機の時代−帝国の変質

B 専制君主制の最盛期と貴族の台頭

C 貴族連合政権と帝国の解体

 


3.国政を担った人々

皇帝

官僚と元老院(建設中)

貴族(建設中)

宦官 

皇妃たち(建設中)

軍隊(建設中)

聖職者(建設中)

首都市民(建設中)

付録:爵位・官職表(899年)



 | HOME | 国制と社会 | 帝国の国家財政 | 帝国と儀式 | 社会と経済・暮らし|


1999-2005 Copyright(C) コンスタンティノープルからの使者(The envoy from Constantinople) All Rights reserved.