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出発からイスタンブール到着まで イェディクレ(ヘプタピルギオン)イムラホル・ジャミィ(旧ストゥディオスの洗礼者ヨハネ修道院) コジャ・ムスタファ・パシャ・ジャミィ(旧クレタ島の聖アンドレアス修道院付属教会)ガラタ塔 その他 |
羽田から関空経由で飛んだイスタンブール初日は、黄金門周辺の史跡とガラタ地区を中心に回りました。 いきなり一人で行って(しかも実は初海外)、その日の朝に地元の人しかいない住宅街の中まで良く入って行ったもんだと我ながらちょっと思います。 |
■出発〜現地1日目:2012年8月22日(水)- 2012年8月23日(木)
出発からイスタンブール到着まで | ||
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成田からの直行チケットが取れなかったので、羽田から関空へ飛び、関空発22:30のトルコ航空47便で出発。結果として、深夜に出て早朝に着くので、特に時差を意識せず、朝から行動できた。 | ||
早朝のアタテュルク国際空港から、地下鉄とトラムを乗り継いで、ギュルハネ公園近くのホテルに移動し、荷物を預けて行動開始。奥に見えるアヤソフィアに、ついに念願の場所にやって来たという感慨が湧いてきた。 | ||
歩いてガラタ橋付近へ。あれがガラタ塔だな。 | ||
イェディクレ(ヘプタピルギオン) | ||
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シルケジ駅から国鉄の近郊電車でイェディクレへ。 左の重機はマルマライ計画(ボスポラス海峡海底トンネル)に絡む工事の物らしい。 |
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イェディクレ駅到着。初の海外で一人旅なのに、いきなりローカル電車で来ちゃう自分って、結構チャレンジャー。 | ||
イェディクレ(ヘプタピルギオン 七塔城)。ビザンティン時代の首都の正門・黄金門とそれに付随する城塞の跡。日本人でここに来る人は、年間でも数えるほどではないだろうか。 | ||
城壁へ登ってみた。中はこのような形になっている。オスマン朝時代は建物が並んでいたらしい。午前9時ということもあって、観光客ゼロ。 背後のクレーンは、マルマライ計画の工事クレーン。 |
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いくつかある塔の一つの内部。オスマン朝時代は幽閉場や処刑場など、結構血なまぐさい使われ方をされたらしい。 | ||
北へ伸びる、「テオドシウスの城壁」。1000年間帝都を守ってきた城壁は、今でも崩れながらも残存している箇所が多い。 | ||
かつての帝都の正門・黄金門。 門といってもオスマン朝時代以降に塞がれている。 一つ失敗したのは、この門を反対側から観るのを忘れたことだ。 |
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この円柱はオスマン朝時代のじゃないだろうなぁ…。 | ||
イムラホル・ジャミィ(旧ストゥディオスの洗礼者ヨハネ修道院) | ||
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イエディクレから住宅地を10分ほど歩いてたどり着いた、旧イムラホル・ジャミィ(旧ストゥディオスの洗礼者ヨハネ修道院) 。ビザンティン時代は、かなり影響力を持った修道院だった。オスマン朝時代に地震で損壊した後放棄され、中に人が住むほど荒廃していたようだが、現在はアヤソフィア博物館の管理下にあり、普段は一般人は入れない。 | ||
聖堂はバシリカ式。外からは内陣の一部しか見えなかった。 | ||
コジャ・ムスタファ・パシャ・ジャミィ(旧クレタ島の聖アンドレアス修道院付属教会) | ||
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5世紀に女子修道院として創建。イコノクラスムの時代に消滅するが、9世紀にバシレイオス1世の手によって再建され、その時に8世紀にイコノクラスムで処刑されたクレタ島の聖アンドレアスを埋葬した。聖堂はラテン帝国の占領による荒廃から復興させた、ミカエル8世の姪テオドラによるもの。 オスマン帝国時代になって、セリム1世の大臣コジャ・ムスタファ・パシャによってモスクに改装された。 住宅や商店の立ち並ぶ中にあるため、全景を上手く写真に撮れる場所が無く、写真が上手く撮れなかった。 Wikimediaの写真はこちら |
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ガラタ塔 | ||
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ガラタ橋まで戻って、お昼はサバサンド。 これ、美味しいのに、なぜか日本では一般的にはなっていない。ケバブは結構あるのに。 |
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ガラタ橋で金角湾を渡り、ガラタ塔へ。 | ||
ガラタ塔は丘の上にあるので、丘の下から上へこのテュネルで。 これはロンドンに次いで世界で二番目に開業した地下鉄…なのだが、正確にいうと地下ケーブルカー。 |
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ガラタ地区の丘の上。西欧っぽい。 | ||
ガラタ塔。元は6世紀の灯台だが、現在のは13世紀にジェノバ人が改修した物。 | ||
ガラタ塔の上から、旧市街方向。手前は金角湾。 アヤソフィアとブルーモスクの屋根が目立つ。 |
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アヤソフィア方向をアップに。トプカプ宮殿が見える。 トプカプ宮殿のあたりが、ビザンティン時代はマンガナ地区と呼ばれた場所で、さらにその前は古代のビュザンティオン時代の市街地。 |
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旧市街の中ほど。真ん中のドームと尖塔はたぶんスレイマニェ・ジャミィ。 | ||
その他 | ||
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フェリーでアジア側へ。なぜかアジア側の写真を撮り忘れたw | ||
船上からアヤソフィア方向。やはりあのドームは目立つ。 | ||
これはトプカプ宮殿の一部。その下にビザンティン時代の城壁が見える。 | ||
アジア側からヨーロッパ側へ戻って、フェリーターミナルのあるエミニョムからトラムの終点まで行き、フニキュレルに乗り換え。これでタクシム広場まで一気に上がって行く。 フニキュレルもテュネル同様の地下ケーブルカーなのに、なぜか車両は展望タイプ。 |
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ヨーロッパ側新市街の中心地の一つ、タクシム広場。奥の建物がアタテュルク文化センター。 2013年には反政府デモと警察が衝突する等の騒乱が発生したが、私が行った2012年の夏は平和そのものだった。 この写真を撮った後、画面右手にあるスタバに行ったが、日本のスタバと全然違和感なかった。 |
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ヨーロッパ側の繁華街、イスティクラール通り。 ここも2013年はデモの嵐が吹き荒れたが、この時は何でもなかった。アジアっぽい雑多感と西欧近代っぽさが交錯するあたりはこの街ならではだが、ちょっと渋谷・新宿辺りにいるような感じだった。 |
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