4世紀 |
316 西晋滅亡、五胡十六国時代へ[中国] 320 インドでチャンドラグプタ1世がグプタ朝を建てる 325 第1回ニカイア公会議、アリウス派を異端とする 330 コンスタンティヌス1世、ビュザンティオンに遷都し、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と改称する。 346 百済建国[朝鮮半島] 356 新羅建国[朝鮮半島] 375 フン族侵入、民族大移動開始。 378 ヴァレンス帝、アドリアノープルで西ゴート人に敗れ、戦死 386 北魏成立[中国] 392 テオドシウス1世、キリスト教を国教とする。 395 テオドシウス1世が没し、ローマ帝国2人の息子に分割相続される 【ローマ帝国の東西分裂】 |
5世紀 |
410 西ゴート人、ローマ市を占領、略奪 413 コンスタンティノープルにテオドシウスの城壁が建設される 413 倭王、東晋に遣使、以後「倭の五王」が中国南朝に遣使する 420 ササン朝ペルシャと交戦 420 劉裕、宋を建国[中国] 431 エフェソス公会議、ネストリウス派を異端とする 438 「テオドシウス法典」公布 439 ヴァンダル族、北アフリカに建国(ヴァンダル王国)。中国では北魏が華北を統一し、南北朝時代が始まる 451 カルケドン公会議、単性論を異端とする 451 カタラウヌムの戦い。西ローマ・ゴート連合軍、フン族を破る 453 フン族のアッティラ王死去 468 レオ1世、ヴァンダルに海戦で敗れる 476 ゲルマン人傭兵隊長オドアケル、西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位する 【西ローマ帝国の滅亡】 487 東ゴート王テオドリック、皇帝ゼノンの命でイタリアを占領、東ゴート王国建国 491 アナスタシウス1世即位(-518) 496 フランク王クローヴィス、カトリックの洗礼を受ける 500 この頃からアヴァール人やスラヴ人がバルカン半島に侵入し始める |
6世紀 |
527 ユスティニアヌス1世即位(-565) 527 ササン朝ペルシャ、ホスロー1世即位(ササン朝の最盛期)。日本、筑紫国造磐井の反乱 529 「ローマ法大全」の編纂開始(-532) 532 コンスタンティノープルでニカの乱勃発。ササン朝との間に「恒久平和条約」を締結 534 ベリサリウス将軍、ヴァンダル王国を滅ぼす 434 北魏、東西に分裂[中国] 535 イタリア遠征開始、ゴート戦争始まる(-555) 537 ユスティニアヌス、聖ソフィア教会を再建 541 共和制ローマ以来のコンスル職が廃止される 548 皇后テオドラ死去。この頃、ラヴェンナの聖ヴィターレ教会のモザイク画完成 552 百済王、日本に仏像・経典を贈る 555 ビザンティン帝国、東ゴート王国を滅ぼしてイタリアを支配 562 ホスロー1世エジプトに侵入。ビザンティン・ペルシャの間で「50年間平和条約」を締結 568 ランゴバルト王アルボイン、北イタリアに侵入 570 この頃、メッカでムハンマド誕生 569 ユスティヌス2世、突厥と同盟を結ぶ 572 ササン朝と交戦、591年まで続く 580 この頃から、アヴァール・スラヴ人によるギリシャ諸都市の破壊が始まる 581 楊堅、隋を建国[中国] 582 ラヴェンナとカルタゴに総督府を設置 583 隋、大興城(長安)を建設。科挙が始まる[中国] 584 イベリア半島の帝国領を失う 589 隋、南朝陳を滅ぼし中国を再統一 593 推古天皇即位、聖徳太子摂政となる[日本] |
7世紀 |
602 フォカスの反乱、マウリキウス帝が殺される 603 冠位十二階制定[日本] 604 憲法十七条制定[日本] 606 インドでハルシャ・ヴァルダナ王即位(-647) 607 小野妹子らを隋に派遣[日本] 610 カルタゴ総督ヘラクレイオス親子の反乱、ヘラクレイオス(子)がフォカスを倒して皇帝に即位(-641)。ヘラクレイオス王朝始まる 614 ササン朝ペルシャ、エルサレムを占領。以降シリア、エジプト、パレスティナを占領 618 この頃、コンスタンティノープル市民への穀物配給を廃止 618 李淵、唐を建国、隋滅亡[中国] 622 ヘラクレイオス、対ペルシャ遠征開始 622 ムハンマド、メディナに赴く(ヒジュラ、イスラム暦元年)。日本、聖徳太子没。 626 ペルシャ・アヴァール連合軍、コンスタンティノープルを包囲 628 ペルシャが降伏し、シリア、パレスティナ、エジプトを奪回 632 イスラム、正統カリフ時代始まる。 634 アラブ人、シリアに侵入 635 ネストリウス派キリスト教(景教)、唐に伝わる 636 ヤムルーク河畔の戦い。ビザンティン軍、アラブ軍に敗れ、シリア、パレスチナを次々に失陥。 642 アラブ軍がアレクサンドリアを占領、エジプトもアラブの手に落ちる 642 アラブ軍、ササン朝ペルシャ帝国を滅ぼす 645 大化の改新[日本] 655 リュキア沖の海戦。コンスタンス2世率いるビザンティン海軍、アラブ海軍に惨敗 661 ウマイヤ朝イスラム帝国成立(-750) 663 コンスタンス2世、宮廷をシチリア島のシラクサに移す 663 白村江の戦い。日本、唐・新羅 連合軍に敗れる 667 この頃、「ギリシャの火」が発明される 668 高句麗滅亡[朝鮮半島] 672 壬申の乱[日本] 672 「ギリシャの火」の使用が始まる 674 アラブ軍、コンスタンティノープルを包囲(-678) 676 新羅、朝鮮半島を統一 680 この頃、ブルガール人が帝国領内に侵攻し、ブルガリアを建国(第1次ブルガリア王国) 690 則天武后、帝位を簒奪、国号を周とする[中国] 694 藤原京に遷都[日本] 698 アラブ軍、カルタゴを占領。北アフリカの帝国領は全て失われる |
8世紀 |
701 大宝律令制定[日本] 710 平城京に遷都[日本] 710 イタリアで反乱 711 アラブ軍、西ゴート王国を滅ぼす[イベリア半島] 717 レオーン3世が反乱を起こして即位し、イサウリア(シリア)王朝を創始。アラブ軍のコンスタンティノープル包囲(-718) 718 首都包囲のアラブ軍を撃退。以降アラブ人の大規模な侵入はなくなる 726 レオーン3世が聖像破壊令を出す 732 フランク王国のカール・マルテル、トゥール・ポワティエ間の戦いでアラブ軍を撃退 740 アクロイノンの戦い。ビザンティン軍、アラブ軍を撃退 741 「エクロゲー法典」公布 750 クーデターでアッバース朝が成立。首都がダマスカスからバグダードへ移る[イスラム] 751 北イタリアのラヴェンナがランゴバルト人に占領される 751 タラス河畔の戦いでアッバース朝が唐を破る[中国]。フランク王国で小ピピンが即位し、カロリング王朝を創始する 754 フランク王小ピピン、ローマ教皇に土地を寄進する(ローマ教皇領のはじまり) 755 唐で安史の乱(-763)。以後唐は衰退に向かう[中国] 756 イベリア半島に後ウマイヤ朝がおこり、イスラム帝国が分裂する 763 コンスタンティノス5世、 アンキアロスでブルガリアに勝利する 771 カールが唯一のフランク王となる 780 唐、租庸調制から両税法に移行する 784 長岡京に遷都[日本] 786 アッバース朝で、ハールーン・アッラシード即位(-809)、アッバース朝の最盛期 787 第2回ニカイア公会議、聖像崇拝が復活する 794 平安京に遷都[日本] 797 エイレーネー、息子コンスタンティノス6世の目を潰して帝位を簒奪。初の女帝となる 798 フランク王国、アヴァールを滅ぼす 800 フランク王カール、西ローマ皇帝として戴冠(カール大帝) |
9世紀 |
805 スラヴ人からペロポネソス半島を奪回 811 ニケフォロス1世がブルガリアに遠征し、首都を攻略するが、帰途を襲われて戦死する 813 ブルガリアのクルム・ハンが逆襲。コンスタンティノープルを包囲する 815 再び聖像破壊令が出される 820 スラヴ人トマスの反乱 827 アラブ人、クレタ島を占領 831 アラブ軍、シチリアのパレルモを攻略 838 アラブ軍、小アジアに侵入 843 コンスタンティノープル宗教会議。聖像崇拝の最終的な復活 843 ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂する 860 キエフ・ルーシ、コンスタンティノープルを攻撃 863 ララカオン川の戦いでミカエル3世がアラブ軍を撃破.。キュリロスとメトディオス、モラヴィア(チェコ)でキリスト教を布教 864 ブルガリアのボリス、キリスト教に改宗する 867 バシレイオス1世がクーデターで即位し、マケドニア王朝を創始する。 867 応天門の変[日本] 870 メルセン条約[フランク王国] 875 唐で黄巣の乱(-884) 882 オレガ、キエフ公国を建国 888 この頃に「バシリカ法典」が公布される 893 弟1次ブルガリア王国、シメオン王(-927)の下で最盛期を迎える 894 遣唐使が廃止される[日本] 896 ブルガロフュゴンでブルガリアに敗北する |
10世紀 |
907 唐滅亡、五代十国時代へ[中国] 910 キエフ公オレーグとの間に通商条約を結ぶ 913 ブルガリアのシメオン王、コンスタンティノープルを包囲。コンスタンティノープル総主教から、「ブルガリア皇帝」に戴冠される 916 耶律阿保機、契丹(遼)を建国[中国東北部] 934 ロマノス1世、自由農民保護に関する新法を公布 このころ、コンスタンティノス7世の下でマケドニア朝ルネサンスが開花する 935 平将門の乱[日本]、新羅滅亡[朝鮮半島] 936 藤原純友の乱[日本]、高麗、朝鮮半島を統一 945 ブワイフ朝、バグダードに入城して政権を奪取。アッバース朝のカリフ、実権を失う 955 レヒフェルトの戦い。マジャール族、ドイツ王オットーの軍に敗北 960 趙匡胤、宋を建国[中国] 961 将軍ニケフォロス・フォカス、クレタ島をアラブ人から奪回 962 ドイツ王オットー、教皇ヨハネス12世から「ローマ皇帝に戴冠」され、神聖ローマ帝国成立 963 ニケフォロス・フォカス、皇帝に即位する(ニケフォロス2世フォカス) 965 キプロス、帝国の単独統治となる(それまではイスラム帝国と共同統治)。 969 ヨハネス1世ツィミスケス、ニケフォロス2世を殺害して即位(-976)。アンティオキア、帝国領となる 970 スヴァトスラフ率いるキエフ・ルーシが、アドリアノープルを包囲する 971 ヨハネス1世、キエフ公スヴァトスラフを破る 976 バシレイオス2世即位(-1025)【ビザンティン帝国の最盛期】 986 ガズニ朝、北インドへ侵入 987 バルダス・フォカスの反乱(-989) 987 西フランク(フランス)王国でカロリング朝断絶。ユーグ・カペーが即位して、カペー朝を創始する 988 キエフのウラジーミル公、キリスト教に改宗(ロシアのキリスト教化) 989 バシレイオス2世、キエフ公国に援軍を得てバルダス・フォカスを破る 995 藤原道長、内覧となる[日本] |
11世紀 |
1014 クレディオンの戦いで、バシレイオス2世がブルガリアを破る 1018 ビザンティン帝国、第1次ブルガリア王国を滅ぼす 1025 バシレイオス2世死去、弟のコンスタンティノス8世が統治 1028 コンスタンティノス8世死去、娘のゾエと結婚したロマノス・アルギュロスが即位(ロマノス3世) 1034 ゾエの差金でロマノス3世が暗殺され、ゾエと再婚したミカエル4世が即位(-1041) 1038 タングート族、西夏を建国[中国]。トグリル・ベク、セルジューク朝トルコを建国 1042 ミカエル5世、ゾエを追放。怒ったコンスタンティノープル市民が反乱を起してミカエル5世は失脚、かわってコンスタンティノス・モノマコスがゾエと結婚して即位する(コンスタンティノス9世) 1047 宮殿内に法科大学・哲学大学を設置 1051 前九年の役[日本] 1054 東西キリスト教会が分裂 1055 セルジューク・トルコ軍、バグダード入城 1057 イサキオス・コムネノスが反乱を起して即位(イサキオス1世) 1066 ノルマンディー公ウィリアム、イングランドを征服してノルマン朝を創始 1069 宋で王安石の改革が始まる[中国] 1071 ノルマン人が、南イタリアに残っていた最後の帝国領バーリを占領。マンツィケルトの戦いでロマノス4世がセルジューク・トルコに惨敗し、捕虜になる 1077 ニケフォロス・ブリュエンニオスの反乱(-1078) 1077 「カノッサの屈辱」。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世、教皇に屈服 1078 アレクシオス・コムネノス、反乱を起こし、アレクシオス1世として即位(-1118)。ノルマン人ロベール・ギスカールが帝国を攻撃(-1085) 1082 アレクシオス1世、ヴェネチアに貿易特権を与える 1083 後三年の役[日本] 1086 ペチェネグ人がドナウ川を越えて侵入する 1083 白河上皇、院政を開始[日本] 1092 アレクシオス1世の通貨改革 1095 教皇ウルバヌス2世、クレルモン公会議で「十字軍」を提唱 1097 第1回十字軍、コンスタンティノープルに到着 1099 十字軍、エルサレムを占領し、エルサレム王国を建国(-1291) |
12世紀 |
1108 ロベール・ギスカールの子ボエモンドを屈服させる 1115 完顔阿骨打、金を建国[中国東北部] 1118 アレクシオス1世死去、ヨハネス2世が即位(-1143) 1122 「ヴォルムス協約」。叙任権闘争に一応の決着[ドイツ] 1125 金、遼を滅ぼす[中国東北部] 1126 靖康の変。宋、金に首都開封を占領され、いったん滅亡[中国] 1127 宋が復活し、中国の南半分を確保(南宋)[中国] 1130 ノルマン人、両シチリア王国を建国(-1860) 1137 ヨハネス2世、アンティオキアを再び奪回 1143 ヨハネス2世死去、マヌエル1世が即位(-1180) 1147 第2回十字軍(-1148) 1155 帝国軍、イタリア半島東部を占領 1156 帝国軍、イタリアのプリンティジで両シチリア王国に敗北 1156 保元の乱[日本] 1158 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、イタリアに遠征 1159 平治の乱[日本] 1167 平清盛、太政大臣となる[日本] 1169 サラディン、エジプトにアイユーブ朝を建国(-1250) 1171 ヴェネチアと断交 1171 セルビアでステファン・ネマイッチが即位(-1196)、徐々にセルビアが帝国領を侵食 1176 ミュリオケファロンの戦いでマヌエル1世がトルコ軍に惨敗 1183 アンドロニコス・コムネノス、マヌエルの息子アレクシオス2世を殺害して即位(アンドロニコス1世) 1185 ノルマン人が帝国第二の都市テサロニカを占領。コンスタンティノープルの市民反乱でアンドロニコス1世が失脚、殺害される 1185 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡[日本] 1187 サラディン、エルサレムを奪還 1187 ブルガリアが再独立する(第2次ブルガリア王国) 1189 第3次十字軍(-1192)。セルジューク・トルコ帝国が分裂する。 1192 源頼朝、征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開く[日本] |
13世紀 |
1204 第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国を建国。ビザンティン(ローマ)帝国はいったん滅亡。 1205 アドリアノープルの戦い。ラテン皇帝ボードゥアン、ブルガリアの捕虜となる。 1206 テムジンがモンゴル高原を統一し、チンギス・ハンと称する。 1208 テオドロス1世ラスカリス、ニカイアで戴冠 1209 イングランド国王ジョン(欠地王)、教皇インノケンティウス3世に破門される 1211 テオドロス1世、マイアンドロス河畔の戦いでトルコ人を破る 1215 イングランドでマグナ・カルタが成立 1219 ニカイア帝国、ヴェネチアと通商条約を結ぶ 1219 チンギス・ハンの征西(-1225) 1221 承久の乱[日本] 1224 エピロスのテオドロス・アンゲロス、皇帝を名乗り、コンスタンティノープルに迫る 1227 モンゴル、西夏を滅ぼす[中国北西部] 1230 エピロス、クロコトニッツァでブルガリアに敗北。首都奪回の夢が潰える 1234 モンゴル、金を滅ぼす[中国] 1236 モンゴルのバトゥ、ロシア、東欧に遠征(-1242)。ロシア、モンゴルの支配下に入る 1240年代、ニカイア帝国がエピロスとブルガリアを破り、バルカン半島に勢力を拡大 1241 ハンザ同盟成立。モンゴル、東欧へ侵入 1243 バトゥ、キプチャク・ハン国を建国し、ロシアを支配下に収める。 1254 神聖ローマ帝国、大空位時代(-1273) 1258 モンゴルのフラグ、アッバース朝を滅ぼし、イル・ハン国を建国。 1259 ニカイア帝国で、ミカエル・パライオロゴスがヨハネス4世ラスカリスの共同皇帝となる。ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国が反ニカイア連合軍を撃破する 1261 ニカイア帝国がコンスタンティノープルを占領し、ビザンティン帝国復活。ミカエル・パライオロゴス、ヨハネス4世を追放して単独皇帝となり(ミカエル8世)、パライオロゴス朝を創始する 1262 帝国、モレア(ペロポネソス半島)を獲得 1263 帝国、ブルガリアから黒海沿岸の諸都市を奪う 1265 アンジュー伯シャルル、シチリア征服を開始(-1268) 1267 モンゴルでハイドゥの反乱(-1301) 1271 フビライ・ハン、元王朝を建設[中国] 1273 ハプスブルク家のルドルフ、神聖ローマ皇帝となる(ルドルフ1世) 1274 第2回リヨン公会議。東西教会の合同を決議(実施されず) 1274 元、第1次日本遠征(元寇、文永の役)[中国] 1279 元、南宋を滅ぼす[中国] 1281 元、第2次日本遠征(元寇、弘安の役)[中国] 1282 「シチリアの晩鐘事件(実はミカエル8世の策略)」。ビザンティン帝国征服を狙うアンジュー伯シャルルの野望挫折 1282 ハプスブルク家がオーストリアを獲得 1283 アンドロニコス2世、東西教会の合同を取り消す 1299 オスマン・ベイ、オスマン・トルコ帝国を建国、マルコ・ポーロの「世界の記述(東方見聞録)」成る |
14世紀 |
1303 イル・ハン国、シリアでマムルーク朝に敗北 1305 ダンテ、「神曲」の執筆を開始 1309 教皇庁、アビニョンへ移転(-1377) 1320 アンドロニコス2世と孫のアンドロニコス3世が帝位を争う(-1328) 1331 セルビアでステファン・ドゥシャン王即位(-1355)、セルビア王国が帝国を圧迫、オスマン・トルコによってニカイア陥落 1333 鎌倉幕府滅亡。「建武の新政」開始[日本] 1336 後醍醐天皇が吉野に移り、南北朝時代が始まる[日本] 1338 足利尊氏、征夷大将軍となり、室町幕府を創始[日本] 1340 アンドロニコス3世、エピロスを併合 1341 アンドロニコス3世死去、ヨハネス・カンタクゼノスの反乱 1342 テサロニカで「熱心党(ゼーロイタイ)」による反貴族運動がおこる 1347 ヨハネス・カンタクゼノス、コンスタンティノープルに入城し、ヨハネス5世の共同皇帝となる(ヨハネス6世カンタクゼノス) 1347 地中海沿岸やヨーロッパでペストが大流行(-1349) 1354 オスマン・トルコがガリポリを占領し、バルカン半島の征服を開始。ヨハネス6世カンタクゼノス退位 1365 オスマン・トルコ、アドリアノープルを占領。コンスタンティノープルが孤立する。 1368 明が建国され、元、モンゴルへ撤退[中国]。足利義満が将軍となる[日本] 1370 ティムール帝国成立 1371 マリツァ川の戦いで、セルビア軍がオスマン・トルコ軍に敗北 1373 ヨハネス5世、オスマン・トルコに臣従。帝国はオスマン・トルコの属国となる 1378 教皇庁、ローマとアヴィニョンの2つに分裂(シスマ) 1380 クリコヴォの戦いでモスクワ公国がキプチャク・ハン国を破る 1386 ヤギェウォ朝による、ポーランド・リトアニア同君連合成立 1389 コソヴォの戦いでセルビアなどの連合軍が、オスマン・トルコ軍に大敗 1392 高麗が滅び、李氏朝鮮成立[朝鮮半島]。南北朝合一[日本] 1395 ティムール帝国、西アジアを制覇 1396 ドナウ河畔のニコポリスで、ハンガリー王ジギスムント率いる十字軍がオスマン・トルコ軍に敗北。コンスタンティノープルがオスマン・トルコ軍に包囲される(-1402) 1399 マヌエル2世、西欧へ援軍依頼の旅に出る(-1402) |
15世紀 |
1402 ティムール、アンカラの戦いでオスマン・トルコを破り、オスマン・トルコ帝国一時解体[トルコ]。明で靖難の変。燕王が帝位を簒奪し、永楽帝として即位(-1424)[中国] 1405 オスマン・トルコ帝国復興[トルコ]。永楽帝、鄭和を南海遠征に派遣(-1433)[中国] 1419 フス派戦争(-1436)[チェコ] 1422 コンスタンティノープルがオスマン・トルコ軍に再包囲される 1430 オスマン・トルコ、テサロニカを陥落させる 1439 フェラーラ=フィレンツェ公会議で東西教会の合同を決議 1444 ヴァルナの戦いで、ハンガリーがオスマン・トルコ軍に敗北 1448 コンスタンティノス11世ドラガセス即位(−1453)1453 オスマン・トルコ軍によってコンスタンティノープルが陥落し、最後の皇帝コンスタンティノス11世戦死。【ビザンティン=ローマ帝国の滅亡】 1453 英仏百年戦争終結(1339-) 1460 ペロポネソス半島の都市ミストラがオスマン・トルコ軍によって陥落する 1461
トレビゾンド帝国最後の皇帝ダヴィドが、オスマン・トルコ軍に降伏し、トレビゾンド帝国滅亡 |
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